新しい方のスーサイドスクワッド、ネタバレレビューしちゃう!!!

MCUの映画を履修したばかりの私にとって、DCの映画はまだまだ未知の領域です。
なので、そんなDCのなかのヴィランばっかりがあつまるニッチな企画、「スーサイド・スクワッド」のキャラクターのことなんて、全然知らないので、そういう話はできないのでしません。そんな興味もないし。

スーサイド・スクワッド 極悪党、集結(←邦題おもろ)は、ご存知ジェームズ・ガン監督が、ディズニーから不当に扱われてできた暇で制作された、DCEU(DCエクステンデッドユニバース(どうやらMCUのように単純に同じ世界という話でもないとか))というシリーズに位置づけられる作品です。

ジェームズ・ガンはDCEUからしたらライバルのMCUで、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」という人気タイトルを2作手掛けたナイスガイです。
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の魅力を大雑把に説明すると、社会からあぶれたデコボコキャラクターたちの家族のような関係性が描かれている点です。人種や性別はもちろん、アライグマに改造されちゃってたり、自分の名前しか言えない"木"だったりと、本当にばらばら。それでも関係性を築けるんだ、というお話が感動的です。

さて、本作「スーサイドスクワッド 極悪党、集結」はというと、同じです。
いろいろあって社会からあぶれた特殊能力を持った個性的過ぎる(歩くサメもいる)犯罪者たちが、衝突しながらも協力しあって任務に挑む。その関係性の変化が楽しいところです。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」と違うところと言えば、なんかグロい。くらいでしょうか。
本作の欠点は、それくらいしか「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」と差がないところです。

いやいやもちろん、キャラクターなどは違います。なんてったってハーレイ・クインがいるわけですし!かっこよくてかわいくて強い!!そんなキャラはたしかにいなかったかもね!(そもそもハーレイは関係性を築けない、けどよくね?みたいなキャラでは???みたいなことも思いますし、本作でもとくに彼女自身の変化は無いよね)

何が言いたいかというと、ジェームズ・ガンが多様性として描いていた(描いているように見えた)キャラクターたちは、本作で多様性を示せていただろうか?ということです。

どういうことか。それは"おバカキャラクター"に関係します。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のキャラクターであるグルートは、「アイ・アム・グルート」という言葉しか発せられない"木"です。一見おバカキャラですが、そのニュアンスの違いではっきりと自分の意志を示すことができます。とはいえやっぱりおバカキャラにも見えますが言語能力と知能はまた別ですし実際なんとも言えません。兎にも角にも、能力の差に関係なく彼を受け入れている、という美点がいえるでしょう。
似たようなキャラクターが本作にも登場します。キング・シャーク(歩くサメ)というキャラクターは本を逆さにして読んでるふりをしちゃう可愛らしい側面のある、やっぱりおバカにみえるキャラです。仲間とご飯の違いが分からずに仲間をついつい食べそうになっちゃう、おっちょこちょいですが、いざという時に仲間を助けたり(してたような気が)します。作品内では強制的に組まされた犯罪者チームなので、最初は何このサメ・・・って感じでしたが、だんだんと打ち解けたりしてたような気がします。たぶん。
そういう点で先述したグルートと同じように、能力の差に関係なく仲間として受け入れる平等さを良きものとして描いています。

ジェームズ・ガンの映画には、ときおりこういったおバカキャラが登場します。スーパー!の主人公がまさにそうですが、そういうキャラクターの描き方として、「かわいらしい存在」として描く傾向があると言えます。あくまで、それは作品を楽しむ鑑賞者にとっての話で、作品内でそういったキャラクターが可愛がられてばかりいるわけではありません(キング・シャークはあるキャラクターから可愛がられていたが)。すこし込み入った言い方になりますが、作品を楽しむ私たちにとって、おバカなキャラクターは「かわいらしい存在」として受け取っていいですよと、ガン監督が操作しているわけです。それは、おバカキャラクターの能力の差が、『私たち』には関係があったことを意味します。

もちろん、フィクションでの架空のキャラクターなわけですが、ガン監督が作品を楽しいものにするために、いわば手癖のように繰り返しおバカキャラを描き続けているように、本作をみて私は感じてしまいました。外側からそのようなキャラクターやデコボコな関係性を愛でる、それは昨今のキャラクターコンテンツ全般に言えることで(関係性萌えとかどうとか)、トレンドといってしまえばそれまでです。しかし、そこにはここで述べてきたようなダブルスタンダードが、能力の差は関係ないとする関係性を能力の差が存在するから愛でることができるという価値観があるのだとしたら、そしてジェームズ・ガン監督がそれに無自覚なら、それはそれで問題ですよねぇ?
そのような態度で多様性を肯定的に描いたことになるのでしょうか。私にはちょっとむつかしいかも・・・。
(念の為に書き加えておくと、ダブルスタンダードであることが問題であり、能力の差うんぬんに関する価値観は、人それぞれであると私は考えます)

さいごに。個人的に、本作はグロが足りなくてすこし退屈でした。
おわり。