ルックバックが良かった話とか

藤本タツキの読み切りなのに140pちょっとある漫画が公開。またたく間に話題に。絶賛の嵐。やっぱり藤本先生は凄いです。
僕はファイアパンチチェンソーマンもあまり好きではないのですが、皆が夢中になるのもわかります。絵も漫画も上手くて、なんか自信ありそうでかっこいいし。なんか悔しい。かっこいいし。

まあそれは良いとして、あの漫画を京アニ放火事件と結びつけて読むかどうか、それも人それぞれです。僕としては、内容はともかく、今売れてる作家があの事件に対して作品でリアクションをしてくれた(したようにみえた、でもいいけど)ことに、嬉しくなりました。
本当は、ジャンプ+のプロモーションで、著名人に読ませて感想つぶやかせるとか、いかにもやりそうで、あんまり好きじゃないかも、とかそういうことは思わなくありませんが、まあどうでもいいよね。

「ルックバック」で検索すると「ルックバック 考察」って、出てきます。
え。
なんかそういう作品だっけ?
調べてみると、Oasisの曲名が隠されているとか、タランティーノの最近の映画がちらっと描かれてるとか。すごい。細かいんだね。
・・・え。どうでもいい・・・。なんか損しました。

みんな、何か意味を探しているんでしょうか。そこには作者の意図はあるでしょうが、この作品でいうと、京アニの放火事件を含めて、過剰な意味付けをしてしまいそうで怖いと思いました。
ここのところ、「考察」って流行っていますが、このままだと現実世界に対しても考察が捗りそうな気配です。なんかそうなると、ちょっと嫌かもと最近思います。
そもそも生きてる意味が無いわけですが、無意味なものに意味をあたえて僕らはなんかいろいろやります。でも過剰に意味が与えられたとき、それは暴力として働くことがあります。無意味なことは残酷ですが、暴力もまた残酷です。

オリンピックは〇〇のため(なんか言ってた気がするけど忘れちゃった・・・)とかいうと意味が与えられて、「えーそのためにアタイらの生活が犠牲に!?」とか思います。無意味にオリンピックやります!って言われてもまあ、嫌だけど、無意味なものに対して人って上手く怒れないので。

京アニの放火事件に対しても、意味を過剰に見出すことは、その本質を遠ざけることになるのではないかと思います。かと言って、無意味にあれだけの人が亡くなった事実はちょっと耐えがたいんだけど。

 

ルックバック、クリエイターの物語でエモかった!!って感想に対しては、それはそれで、「ああ、うん・・・」って気持ちにはなります。

京アニ追悼!!素晴らしい!!って感想にも同じように思います。

 

ってか未だに、ちょっときついわ・・・。
泣いちゃったとか周りに言ってるけど、ホントは何も言いたくないかも。